最終的にシンプルに自分が何を信じたか?だけなんですよね。お母さんやお父さんや兄弟や親類や友達や先生や偉い人や学校の勉強や本に書いてあった事や宗教やスピリチュアルや言い伝えやセミナーや講習や誰かや何かを 信じた 自分から自分の現実が出来上がっています。例えば、風邪をひいた時に薬💊を飲むのが普通な人は直ぐに薬を飲みます。風邪をひいても薬を飲まないのが普通の人は薬を飲みません。これだけなんですよね。いいとか悪いとか正しいとか間違えてるとかはあまり関係なく薬を飲んだら飲んだ現実にプログラムされていく。昨日は1個の薬を飲んだけど今日は2個の薬を飲んだら2個の薬を飲んだ現実が構築される。初めは同じ場所にいたけど日に日に薬を飲んだ人と飲まなかった人の現実に距離が出来ている事は誰が考えても想像出来ると思います。1週間も経てばかなり両者の現実はズレていると思います。そうやって毎日薬を飲んだ現実を作り上げた人が何かの拍子に薬を飲んでいない人に気づき、しかも薬を飲まなくても元気にみえて あれ? と何か大事な事に気づいている気がして自分は何で薬を飲んでいるのか?とボヤンと問いが生まれますが、長年日常的に薬を飲まれているのが普通の現実を生きている人は薬を飲まない人は変わっている人、科学的では無い人、無謀な人、洗脳されてる人、おかしな人なんだ!と言う頭の中の声に納得して、自分は正しい、間違ってない、と沢山理論で埋め尽くし薬を飲むと言う現実に戻ります。気づきは風のような一瞬の隙間でしたが自分自身の潜在意識がピシャリと気づきをシャットアウトしていつもの日常に引き戻しました。なので現実レベル(肉体ルベル)で変化を起こすには気づきぐらいでは変化できる可能性はとても低いものになると思います。では、薬を飲まないのがそんなに偉いのか?と薬を飲まないで大変な事になる事もあるだろう!と思われる方もいると思います。その通りなんです。毎日糖尿病の薬を飲んでる方がいきなり薬をやめて血糖値がおかしくなり大変な事になる場合もあると思います。なので、薬をやめない方がいいと思います。それ以上でもそれ以下でもなくそれだけです。薬と上手に付き合いながら人生を過ごしていくと言うのもまた経験です。それは悪い事でも間違った事でもなくその世界の中で生きると言う経験です。これらをしっかり理解した上で、で?自分はどうするのか?と言う 自由 が誰にでも与えられていると言うだけの話しです。この自由は他責を止めると言う事です。全ての中から自分が選択する自由です。どんな事があったにせよ最終決定をした自分の全責任を引き受ける覚悟です。人間は思いつく全てを実現化出来る力を持っています。ただその力の使い方の説明書を渡されていないんです。誰かが意図的に隠した説もあると思いますがそうだとしても、説明書を渡されたとしても多分上手くその力は使えないのではないかと思います。この力をバランスよく上手に使うには漆職人になる為に何年か漆にかぶれたままそれを克服する術を自分自身で獲得し漆を扱えるようになる職人のようなプロセスが必要だからです。ちなみに、いつまでも漆かぶれを克服出来なければ漆職人にはなれないそうです。なれない!とは慣れ!結局、全ての克服は慣れる事だと思うのです。苦手なものは誰にだってあります。勿論、極端に周波数の違うものは慣れる事はできません。でも自分の周りにいつも来る課題は慣れと対処法と克服を獲得するものなのではないでしょうか?私自身思い返せばいろいろ言われてきたなぁーっと😅言われ過ぎて人の口👄の不可解さをいつしか信頼しなくなり、腹いせいに八つ当たりのように話す人達を観察していた感じでした。とても嫌な感じは受けますがそんな人達の話しに惑わされてしまう自分の弱さを克服した方が早い事を学びました。小さな頃感じていた事ですが、嫌味っぽく話す親戚のおばちゃんがいつも不思議でただ、力の弱いものに言葉や態度で攻撃するおばちゃんだなーっと思っていました。言い返した事は一度もないですがその様な人は結構沢山いて、後の人生ではその様な人のその様な言葉を聞く度に私の世界には関係ない人になりました。そんな事よりもたまにそーゆー発言をしない人がいるととても驚きでなんでその人がそうなったか?を識るのがワクワクしました。私達人間は受信機でもあり発信機でもあります。何を発信して何を受信してるかは自分をどれだけ調律できるかにかかっています。説明書を渡されても調律が狂っていれば正しく解釈する事はできません。なので説明書が悪い人によって隠されたとしても大した問題ではないと思います。自分自身の調律が整えば説明書は解読できます。そう言う仕組みにはじめからなっているので、誰かが悪くてーと他責の調律の人には絶対に紐解けないようになっているのが逆に他責の世界線とは境界線が引かれている証拠になります。