自分を見ていると解れば人を変えようとしていた事が恥ずかしくなります。

2024年02月17日 10:41

すっきりとさせましょう´◡`自分の中にあるものが見えているだけです。全ての感情や全てが自身の中にあるのですがそのどれに反応しているか?なんです。好きだな!とか嫌いだな?とかはいいのですが好きも嫌いも行き過ぎてしまうと外側に反映されて虫眼鏡で見るように拡大視されて見えます。拡大視されたものを見て不快に感じたり嫌な気持ちになったり攻撃されるのではないか?と恐怖になったりします。その感情を確認したら速やかにその場を去るか無視するか、ふーん!で終わるか縁を切るかすれば体験しただけで終わるのですが、その不快なるものを悪いとか正そうとか間違っているといい責め立てたり攻撃するエネルギーを放ったり変わって欲しいと言うエネルギーを発してしまうと不快なものと合致してしまいその周波数になってしまいます。ただ、悪いね!と認識するだけではなく、私が望む私がOKを出すものに変わって欲しい、私に迷惑をかけてるのよ!私は正しいけど貴方が間違っているの!どうして私に嫌な事をするの?と、果てしなく3歳児のような自分論のエネルギーを発し周りが変わってくれないから私はこんなに辛い目にあっているのよ!となります。これが酷くなると、鬱や自閉症や様々な世界が現れてきます。一番初めに戻りますが全ての感情や全てが自身の中にあるのです。誰でも!その誰でも持っている中の何かをピックアップしたのは自分です。あまりにもそこにこだわるから外側に見えてきたんです。自分にとって不快に感じるものをわざわざピックアップして膨らましたのは自分です。自分で膨らましたのに、外側に現れた人をいくら変えようと攻撃しても自分の内側のピックアップしたものを解除しなければまた別の不快な人が現れます。自分ばかり見ないできちんと人を見てみるといいと思います。話は変わりますが自身の体験で私は多分、極度の乳糖不当症だったと思います。分解する力が著しく弱く精密検査をしたら物凄い病名がついていたと思います。でもその事実をピックアップしませんでした。小学校の先生に我儘だから牛乳が飲めないんだ!とわけのわからない事を言われ随分嫌がらせもされましたが、私は我儘だから飲めないのかーと素直に思ってました笑😅頑張って無理して何年か毎日飲んでいました。給食ですから!牛乳飲めなかったら連帯責任で班の人全員お昼休み無し!とか意地悪な案を先生が言った時は流石に子供ながら、この先生頭おかしいのかな?と思いました😅単純に超性格悪い先生だな!とか、なんか親たちに良い評判の先生らしいけど私にはそう思えなかったです。今思うと私をダメな子にしたかったんだな!と思います。先生の中で良い子と悪い子が自分の中に強烈に出来ていたのでしょう!こんな感じで私はダメ子意識も素直に受け入れてました!後に、私の人生で良い子でいなきゃいけない意識が全くなかったのもこの時私が一番ダメな子なんだなって思っていたせいである意味強くなり、ダメでいいや!とか私に期待しないで!とかよく見られたい意識から切り離され自分の世界を生きれるようになったのだと思います。不思議と面白いものでそれとは裏腹に現実は班の男子が昼休み無しが余程嫌だったのか私の分の牛乳を一気飲みしてくれたりわざとこぼして、すみませーん!と言ったり😆😆毎日、何だか楽しくなってきたら、先生も無理な要求をしている事が親に伝わり面倒になるのを察したのか、そのルールは消え去っていました😆😆人に認めてもらいたい欲求が無いのはその性格悪い先生に一ミクロンも認めて欲しいとは思わなかった事が経験になったのだと思います。それよりも自分の世界を進める方が面白い事を学んだのでしょう!ここでありがちなのが、じゃ、その先生も悪くはなかった、嫌な役をやってくれたんじゃない?と言う人もいますが、、、今の大人になった私的には クソジジイ!  とかしか思わないですね😆 今の自分から、小さい時の自分をみて、よく先生を恨まず素直にがんばった!と褒めてあげますよ!誰がけなしても、私は褒めてあげますよ!当然ですが今の時代からみたら、牛乳をあんなに無理に強制するのはキチガイ先生です。キチガイだったんだな!と理解して終わりです。その後の学生生活はキチガイ先生を早くキャッチして関わらないように出来たので逆に先生との素晴らしい時間を持てた学生時代だったと思います。子供はどんなに理不尽な目にあっても 恨む までは余程の事がない限り無いと思いますし、自分が悪いのかな?って思います。大人が良い悪いとクローズアップしてしまうのでややこしくなる事が多くなるのだと思います。私の乳糖不当症も良い悪いの判断をしなかった事と我儘なのかな?と思っていた事が功をなしてか重大なアレルギーを引き起こさなかったのです。かなり分解出来なくてもアレルギーだから徹底的に避けるとかはせず、寧ろそんなに食べていたんだ!と驚く程普通に見える程食べていたと思います。でも何ともないんです。重大なアレルギーなんて起こらなかったです。ピックアップしなければ現実は問題なく過ぎ去るものだと思います´◡`権力のあるものが手足を縛り正しいといい相手の自由意思を無視して従わせようとした末路を何度も見てきました。多分、手足を縛られる状況下になった途端に創造主のエネルギーが発動している気がします。だから、こちらが同意しないのに強制するものは次元堕ちしてしまいその後の人生の世界線が変わるようですね。くれぐれも力づくで事を進める事の危険性には気をつけたいものです。私の知ってる人で犬🐕アレルギーなのに一緒に犬と寝てる人います😑アレルギーよりも愛の力が勝っているんですね😆😆凄い事です❣️植物を扱っているとよくわかるんですが、悪い所をピックアップしてしまうと直ぐにアレルギーになります。少し痒みが出たら直ぐにこの植物は悪いとなってしまい、自分はこれがダメ、あれがダメと決めてしまいます。植物も実はわざと嫌われるようにする場合もあるのでだんだんそれがわかると面白いのですが少々何があっても、ふーんで終わると悪い方へはいきません。悪いと感じて化け物のように巨大化させているのは自分だけだとわかるとだんだん人を見れるようになると思います。あるお客様が教えてくれたのですが、漆職人になるにはまず何年か漆にかぶれてそれを乗り越えると漆がなんともなくなるそうです。それでやっと漆職人になれるのだそうです。身体が学習するのかもしれませんね。人は全く違うようにものを見ている事が見れると様々な方法がある事に気づき勉強になります。成長して乗り越えていける人は皆んな何かを学ぶだめによい所も悪い所も両方引き受けて成長しています。良いところだけ取ろうと立ち回ってもいつまで経っても立ち回っているだけで成長にはなりません。結局、負の作用と思う出来事も、耐えて、踏ん張って、作戦をねり、工夫しながら戦わずして乗り越えていく作業のような気がします。焦点を当てているものの正体はそもそも自分の数ある中の一つの存在であるから攻撃すると自分にダメージがくるのも納得です。相打ちみたいになってしまうのもどーかと思うのでそれなら自分を変えて行けば無傷で成長する事が出来ると思いますし同じように成長していく仲間とシェアするとより早くヒントを得られるので楽しくなると思います。戦わなくなった時に初めて目に見えない存在達のサポートが真に得られる気がします。そうするとビックリする様なミラクルにもお目にかかれたり素晴らしい世界が見えてきたりしますので世界感がガラリと変わってしまうようですね´◡`

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